素の自分を出せない職場に起きていること
~“会社モード”で固まってしまった大人たちへ~
「会社とプライベートは別だから、職場では“素の自分”は出さない」
どの組織にも、そう考えている方は一定数います。
それ自体は、一つの価値観として間違っているわけではありません。
けれど、これまで多くの企業や組織に関わってきたなかで、私はある共通点に気づきました。
「職場で素の自分を出せない」と語る人ほど、どこか苦しそうなのです。
「素を出さない」人の奥にあるもの
「素の自分でいたら、迷惑をかけてしまう気がする」
「昔、率直に言ったことで嫌われたことがある」
「自分の本音なんて、どうせ受け入れてもらえない」
そんな痛みや不安が、きっとその背景にはあるのかもしれません。
だからこそ
「会社では仕事だけしていればいい」「役割を果たすことが大事」と、
自分を切り替えて“会社モード”で頑張るようになる。
その努力そのものは、むしろ賞賛に値することです。
でも、問題は――
その「会社モード」が、いつの間にか“鎧”になってしまっていることです。
本来の力が発揮できなくなる職場
仕事で成果を出すために自分を律してきたのに、
なぜか気づけば、職場にいる時間の自分は無表情で、無感情で、ただタスクをこなしているだけ。
同僚といても心が通っている感じがしない。
ちょっとしたすれ違いや誤解が放置されたまま、話しづらさだけが残っていく…。
「仕事はできてる。でも、心はどこか置いてきぼり」
そうした感覚を持つ方が、実は非常に多いと感じています。
緊張状態が続くと、心も体も固まる
心理学では、人が「自分を守ろう」とするとき、身体は“戦う or 逃げる(Fight or Flight)”のモードに入ると言われています。
これは交感神経が優位になっている状態で、筋肉にばかり血がめぐり、消化器や免疫系には血流が届きにくくなります。
つまり、身体は常に「何かに備えている状態」。
こうした状態が慢性的に続くと、集中力や創造力は落ち、周囲への信頼も育ちにくくなります。
「素の自分」を出せないというのは、実は心だけでなく、身体にも強い影響を与えているのです。
仮面をかぶると、誤解されやすくなる
もうひとつ、素を隠していることで起こるのが「誤解される」というリスクです。
たとえば、「仏頂面で無口」と思われている人がいたとします。
でも実はその人、真面目で、仕事に集中していて、話しかけるタイミングがわからないだけかもしれない。
あるいは、単に表情筋をあまり使っていないだけかもしれません。
ある接客のプロが「笑顔は筋肉だ!」と仰っていました。
確かに、普段から表情をあまり動かしていない人が「笑顔のつもり」で微笑んでも、
周囲には全く伝わらない、ということがある(笑)
実際、私にもこんな体験がありました。
遠巻きにされていた上司の“素顔”
かつて私が働いていた職場で、いつも無言で仏頂面、社員から遠巻きにされている管理職がいました。
「話しかけたら怒られそう」「何を考えているのか読めない」――そんな声が上がっていたのです。
でも、ある時私は思い切って、その方をランチに誘ってみました。
すると驚いたことに、返ってきたのは知識と経験に裏打ちされた含蓄ある言葉と、ちょっとしたユーモア。
話せば話すほど、その方の経験の豊かさや優しさ、面白さが見えてきました。
ランチに誘ったほんの少しの勇気をキッカケに“ラベル”が剥がれ落ち、その後の長い長いお付き合いに繋がった、というわけです。
周囲の評価は「話しづらい人」でも、本人の中にはちゃんと“人間味”がある。
ただ、それを表に出すきっかけがなかっただけだったんです。
人間関係の多くは「すれ違い」から始まる
「この人は怖い人」
「話しかけちゃいけない人」
「自分を出したら拒絶される」
そう思って距離を取っていた相手が、実はまったく違う印象の人だった、ということは珍しくありません。
たまたま虫の居所が悪かっただけかもしれないし、体調が悪くて無口だったのかもしれない。
もしくは、「上司」としてのメンツを保つために、演出として威厳をまとっていた可能性もある。
人は、それぞれの「仕上がり」に理由があります。
でも私たちは、ついその一瞬だけを切り取って、人にラベルを貼ってしまう。
もちろん、“深読み”しすぎるのもリスクです。
世の中には、相手の心理を読み取ろうとする「コールドリーディング」のような手法もありますが、
必ずしもそれが”正解”になるとは限りません。
実際、私自身がNLP(神経言語プログラミング)を学んでいたとき、ある出来事がありました。
講師とのデモセッションの際、私は椅子に深く座り直して背もたれにもたれたのですが、
それを見た講師が「あなたは人と距離を取るタイプですね」と、解説を始めてしまったのです。
でも、実際は違いました。
当時の私は休業から復帰したばかりで体力が戻らず、
座っているだけでも上半身を支えるのがつらく、背もたれに寄りかかるしかなかったのです。
私はその場で訂正せずに受け流しましたが、内心では「人をパッと見で決めつけるのは危ういな」と感じました。
日常には、こうした“すれ違い”が無数にあります。
そのまま放置されると、誤解は固定化され、関係性は表面的なまま。
でも、だからこそ「対話」の力が必要なのだと、私は考えています。
次回は、このような“誤解”や“仮面”をどうやって解きほぐしていくのか?
そして、「素の自分」が安心して出せる職場がどのようにして生まれるのか?をご紹介していきます。
